地獄界での強烈な経験 | ブログ幸福の科学

地獄界での強烈な経験

「たとえば、人を殺して、改心もせず、死んで地獄へ行った人がいるとします。その人が行く世界は、どういう所かというと、人殺しがたくさん集まっている所です。そういう地獄には、自分より強い人もいるので、今度は、殺されるほうの、経験もだいぶしなければいけなくなります。自分より弱い相手なら殺せますが、自分より強い相手には殺されてしまうのです。
そのようにして、『人殺しというものは、いかに嫌なものであるか』ということを本人が分かるまで、毎日、徹底的に、殺し合いの経験をするわけです。
殺し合いといっても、実際には肉体がないため、ほんとうの意味で殺すことはできません。しかし、肉体はなくても、その苦痛を味わいます。苦痛を感じる霊的神経の部分だけはあるのです。
生前、殺したり、殺されたり、けがをさせたり、させられたりしていた人は、『相手に苦痛を与える』という経験をしてきています。生前に経験していないものは、その痛みの感覚が分からないのですが、生前に人を傷つけたり殺したりした人は、その痛みを感じやすいのです。
それで、人を殺し、相手が血を流しているので、『ああ、死んだな』と思うのですが、しばらくすると、相手はムクッと起きあがります。あるいは、自分が殺された場合も、『殺されて死んだ』と思っても、やがてムクッと起きあがります。そして、また殺し合いが続きます。このように、終わりのない戦いが続くのです。
やくざ同士の抗争などを考えればよいでしょうが、徹底的に殺し合いをしているうちに、だんだん嫌になってきて、お互いに『もう、やめたほうがよいのではないか』と思いはじめるときがあります。
相手を殺して、『やった』と思っても、相手が生き返り、今度は自分がやられるのです。こんなことばかりを繰り返していると、たいていは嫌気がさすでしょう。『そういえば、生前も、こんな生活だったな』と思い、自分が恐怖心と憎しみと破壊の心で生きていたことに気づいて、そういう生活が、だんだん嫌になってくるのです。
その心境が、だいたい、菩提心(ぼだいしん)の目覚め、悟りへの目覚めの段階です」