ブログ幸福の科学 -3ページ目

脂ののりきってるあなたへ

いま、脂の乗りきっている年代のあなたがたであるならば、

「自分の給料の額だけを稼げばよい」ということになるはずはないのです。

まだまだ、それだけの努力、修行ができていない人、

仕事に充分についていけない人に対しても、

「その分、自分たちが働いて、

お金を回してやるというくらいの気持ちにならなければなりません。

したがって、「給料の十倍働く」ということを目標とすべきです。

(『成功の法』第4章)

自灯明を灯す人たちと「助けて欲しい」という人たち

「みずから光をともそう」と思う人の数が多くなっていくことで、

地上は光に満ち、天国に近づいていきます。

ところが、「助けてほしい」という人ばかりが増えたならば、

この世は闇に沈んでいくのです。

(『希望の法』第5章)

たまには自分をほめてみよう

「『人からほめてもらえる』ということは、とてもうれしいことです。
幸福の科学では、『正しい言葉で人をほめてあげよう。人に対しては、優しい言葉を投げかけ、愛を与えよ』と説いています。
しかし、現実には、優しい言葉をかけ、愛を与える人の数は、まだまだ足りません。そこで、どうしても人がほめてくれないのであれば、たまには自分で自分をほめた方がいいでしょう。
見方は色々ありますが、自分に関しては自分が一番情報を多く持っているのですから、『少し見方を変えてみようか』と考えることです。
『あの人と比べて劣っている』『こうならなければ失敗だ』
という考えで行くと、『自分は駄目な人間だ』ということになるかも知れませんが、少し違う見方もあるのではないでしょうか。
現在の自分は、小学生の頃から見れば、10代の時には『こんな自分は、一生、結婚できないのではないか』と悩んでいた人が、今は、『不作の女房をもらった』と悩んでいるかも知れません。
しかし、『結婚できない』と思っていた自分から見ると、『結婚できた』というだけでも、とても偉いことではないでしょうか。
また、『こんな不作の女房であっても、それは養い続けているというのは、偉いことではないか』という見方もあるでしょう。
子供の出来が悪くて悩んでいる人の場合は、『こんな出来の悪い子供であっても、それを育てているというは、すごいことではないか』という見方もあります。
60歳で平社員である人の場合は、『60歳で平社員であっても、仕事を続けているのだから、大いに情熱があるのではないか』という見方もありますし、『病気をしないだけでも大したものではないか』という見方もあります。
髪の毛で悩んでいる人の場合は、『髪の毛が全くなくなる人も多い中で、例えザビエルのようではあっても、周りに少し毛が残っているだけでも、すごいではないか』『白髪になったけれども、ロマンスグレーで、格好いいではないか』などという見方もあります。
そのような見方もあるので、人があまりほめてくれないのならば、たまには自分で自分をほめた方がよいのです。
毎日毎日だと、やり過ぎかも知れませんが、週に1回ぐらい、『こんな鬱(うつ)状態だし、まあ、たまには自分をほめてみるか』という気持ちをもってもよいのです。」

件名:松原撲殺計画

8/12日土曜日12:50分5秒頃私宛に精神障害者の社会復帰を支援するためにある小規模通所授産施設喫茶ほっとさんから、こんなメールが届きました。件名が「松原撲殺計画」となっていて尋常(じんじょう)な件名じゃありません。異常としか言いようがありません。これは明らかな恫喝(どうかつ)です。単なる脅しじゃないのが件名を見れば分かります。
こういうメール書いたのは、おそらく男の創価学会員だと思われます。
件名に明らかに男の創価学会員共通の特徴が出ています。

「From: "喫茶ほっと" hot@cf.mbn.or.jp アドレスブックに追加
To: "松原 俊"
Subject: 松原撲殺計画。
Date: Sat, 12 Aug 2006 12:50:05 +0900
こんど変な書きこみしやがったらてめえの家探し当ててぶん殴るぞ。わかったか?この野郎。」

運が悪いとき、元気をくれる考え方

「人間の人生と運命には、ある程度の周期があるように思います。
『何年ぐらいで周期とするのか』『何ヶ月で周期とするのか』というようなことは、定かには述べませんが、確かに、何年かの周期で、調子のよいときと悪いときというものがあるように思います。
そして、逆境といわれる時期にこそ、実は、いちばん素晴らしいものが始まっていると私は思うのです。
考えてみれば、人生の転換期には、環境との不調和、他人との不調和が必ず起きます。そうすると、精神的につらいのは事実です。
では、これがなければ、ほんとうによいのかといえば、そのようなものではないと思います。
『こうした苦しみの時期は、同時に、素晴らしいものが始まっている時期でもある』 そのように考えることができるのです。
そうしてみると、逆境は怖くなくなります。
なぜ怖くないかというと、『運命の逆境期において、魂は、いちばん糧を得ることができる。いちばん教訓を得ることができる』と考えられるからです。
これは、おそらく、竹で言えば節の部分ができている時期に当たると思います。
竹は、それまで、20センチ、30センチと順調に伸びてきたのに、やがて節をつくらなくてはいけなくなってきます。
このときには、おそらく苦しみがあるのではないかという感じがします。
結局『運命あるいは運勢に、ある程度の周期があって、調子のよいときと悪いとき、順境・逆境がある』ということは、『それが、人生において、成長し、節をつくっている部分である』ということだと思います。
『逆境のときが節であり、節ができると、そこからまた次なるものが出てくるのだ』という感じが強くします。
したがって、苦しいときには『いま節をつくっているのだ』という気持ちを持って、次への成長の道を歩んでいただきたいと思うのです」

気持ちが深く沈んだときには、鏡を見てください。自分の姿を鏡に映してみてください。

気持ちが深く沈んだときには、鏡を見てください。

自分の姿を鏡に映してみてください。

「こういう人相をしている人に対して、

世の人々は、はたして『助けたい』と思うかどうか。

『協力したい』と思うかどうか。

『導いてやりたい』と思うかどうか」ということを、

自分の顔を見て問いかけてください。

(『成功の法』第3章)

理解できないからこそ、敵と思えるのです

他人がすべて理解できる人であるならば、すべての人を許せましょう。

すべてを知ることは、すべてを許すことにつながっていくからです。

理解できないからこそ、敵と思えるのです。

理解できないからこそ、その人を責めるようになるのです。

(『愛の原点』第2章)

苦境に陥ったときは、まず本来の自己とはいったい何であるかを知る必要があります。

大川 隆法
幸福への道標

苦境に陥ったときは、

まず本来の自己とはいったい何であるかを知る必要があります。

「本来の自己は、無限者なのだ。無限力を持っている者なのだ」

と気付くことです。

そして、この気付きが、

無限の力を引き出すための原動力となっていくのです。

(『幸福への道標』第二部第4章)

大事なことは、心に曇りをつくらないこと、毒を食らわないことです

大事なことは、心に曇りをつくらないこと、毒を食らわないことです。

相手のほうに悪い点があるのかも知れませんが、

その悪を自分自身のなかに植え込んで増幅させる必要はありません。

(『理想国家日本の条件』第3章)

地獄での菩提心の目覚め

「たとえば、人を殺して、改心もせず、死んで地獄へ行った人がいるとします。その人が行く世界は、どういう所かというと、人殺しがたくさん集まっている所です。そういう地獄には、自分より強い人もいるので、今度は、殺されるほうの、経験もだいぶしなければいけなくなります。自分より弱い相手なら殺せますが、自分より強い相手には殺されてしまうのです。
そのようにして、『人殺しというものは、いかに嫌なものであるか』ということを本人が分かるまで、毎日、徹底的に、殺し合いの経験をするわけです。
殺し合いといっても、実際には肉体がないため、ほんとうの意味で殺すことはできません。しかし、肉体はなくても、その苦痛を味わいます。苦痛を感じる霊的神経の部分だけはあるのです。
生前、殺したり、殺されたり、けがをさせたり、させられたりしていた人は、『相手に苦痛を与える』という経験をしてきています。生前に経験していないものは、その痛みの感覚が分からないのですが、生前に人を傷つけたり殺したりした人は、その痛みを感じやすいのです。
それで、人を殺し、相手が血を流しているので、『ああ、死んだな』と思うのですが、しばらくすると、相手はムクッと起きあがります。あるいは、自分が殺された場合も、『殺されて死んだ』と思っても、やがてムクッと起きあがります。そして、また殺し合いが続きます。このように、終わりのない戦いが続くのです。
やくざ同士の抗争などを考えればよいでしょうが、徹底的に殺し合いをしているうちに、だんだん嫌になってきて、お互いに『もう、やめたほうがよいのではないか』と思いはじめるときがあります。
相手を殺して、『やった』と思っても、相手が生き返り、今度は自分がやられるのです。こんなことばかりを繰り返していると、たいていは嫌気がさすでしょう。『そういえば、生前も、こんな生活だったな』と思い、自分が恐怖心と憎しみと破壊の心で生きていたことに気づいて、そういう生活が、だんだん嫌になってくるのです。
その心境が、だいたい、菩提心(ぼだいしん)の目覚め、悟りへの目覚めの段階です」